結:そして、またある日から始まる物語。
かたん。と音を立てて、騎士の駒が盤上を進む。
「卿、本日のご予定は? こちらで油を売ってて宜しいんですか?」
かたん。その騎士を手近にいた兵士の駒がひらりと浚う。浚われた相手、ゲッテンバウアー卿は普段と同じ茫洋な笑顔
を浮かべたままで何の動揺も見せず、司祭の駒を次の手に取った。
他の駒の間を縫って進んできた神出鬼没の司祭に、布石のつもりで置いておいた兵士を取られてアヴェスタは嘆息する。
もう何十回と彼と勝負をしているが、未だに勝ちの片鱗すら見えた例がない。この抜け目のなさが卿という地位を得て、
自分達の…正確には自分達のリーダーの上司でいる実力なのだなとしみじみ思う。
「君までエディみたいなこと言わないでよー。午前中はちゃんと仕事したよ」
卿はやはり笑顔のまま、上機嫌で卓上の煎餅を摘む。お一ついかが?と差し出されたのを有難く頂き、ぱりぱりと口の
中で割り砕く。カルシファードが原産だというその高価なお菓子は、程好い塩味がとても美味だ。ちゃんと口の中のも
のを飲み下してから、改めて口を開く。
「まあ、私としても勝負に無粋を挟むつもりはありませんけどね」
本来護るべき駒である王を躊躇い無く摘み、前線に出す。その無謀とも言える動かし方に、さしもの卿も驚いたようだ
った。糸のような目がちょっとだけ見開かれる。
「大胆な手だねー。本当、君とやると退屈しないよー」
そう言いつつ、卿の手勢は次々とアヴェスタの布陣を崩していく。あっという間に不利になり、王を逃がす事しか出来
なくなってきた手駒を見て溜息を吐く。
「奇を衒わないと貴方の隙なんて衝けないんですよ。私の知ってる定石なんてたかが知れてるんですから」
「遊べるだけ嬉しいよー。何せ家人の誰ももう僕とはやってくれなくてねー。エディもレキちゃんもグリ君も、チェス
出来ないし。ご家族に教わったの?」
「いえ、独学ですよ」
さらりと言われた言葉に、卿は自然に顔を上げてアヴェスタの顔を見る。道化の化粧をつけた垂れ目の顔は、いつも通
りの笑顔が浮かんでいて何も変わらない。卿も全く笑顔を崩さず、ゲームを続けながら話す。
「そうなのかぁ、凄いねぇ」
「本を読む機会だけは沢山あったもので」
「じゃあ、アヴェ君の家ってお金持ちだったの?」
かつっ、とアヴェスタの摘んだ駒の底が盤を叩く音がした。ほんの僅かな動揺。隠し切れなかったし、気付かないわけ
が無かった。
一瞬の沈黙の後。
「ふ」
「は」
「「あははははっ」」
同時に笑った。何の含みもない、心底可笑しそうな笑い声。
「人が悪いですねぇ…本当貴方は。心理的トラップは卑怯ですよ?」
「いやいや〜、ごめんごめん。純粋な好奇心だよ〜それ以外には無いよ〜」
片手で頭を抱えてテーブルの上に突っ伏するアヴェスタに、両手を目の前でひらひら振って興が弁明する。
「…過去と言うのは、そこまで重要視するものですか?」
「うん?」
掌で両目を覆う形になったアヴェスタが、ぽつりと呟く。腕の後ろから覗いて見える口元はいつも通りの笑みを形作っ
ていたが…その声が、いつになく細かった。
「虚偽の神を奉じる身であれど、自分に嘘はつけません。今この場にいる私は、私以外に有り得ない」
「………そうか。うん、そうだね」
どんな道を歩んでこようと、そして負った傷が未だ血を流し続けているとしても。両の足で立って生きている限り、絶
望は訪れない。
彼の生い立ちの境遇を密かに調べさせた際、彼の持つ炎に対する恐怖の原因が明らかになった。特殊な戦闘任務を背負
わされる職にとってある意味致命的になりかねないその事実を指摘するつもりだったのだが―――どうやらとうの昔に、
彼はそんなものを乗り越えていたらしい。これじゃ僕の方が道化だねぇ、とゲッテンバウアー今日は眉の八の字角度を
やや広げて呟いた。
「さ、興の手番ですよ? どうぞ」
「ああ、ごめ…んね?」
促しに盤に視線を戻した時、卿は首を傾げざるを得なかった。どう見ても王の首を取れる位置に、敵方の兵士が居座っ
ている。――――逃げられないし、兵士を止める事もできない絶妙の位置に。まさしく、絶体絶命のピンチに陥ってい
た。
「あれぇ?」
「どうしました?」
「ちょっと待って?」
「待ったなしですよ?」
にこにこにこにこ。笑顔を途切れさせず、二人の攻防が続く。やむなく適当な駒で相手の数を減らすしか出来ない卿に
対し、アヴェスタはにっこり笑って兵士の駒を摘みあげ、彼との対戦で初めて発せられる「王手」という言葉を―――
――
ばたーん!!
と無作法ではない程度に、ドアが思い切り開かれた。唐突な乱入者に、卿もアヴェスタもぴょんと椅子の上で飛び上が
ってしまう。
「…ゲッテンバウアー卿。午後の仕事のお時間はもう過ぎておりますが?」
「え〜…もうそんな時間?」
「無粋ですよエディさん…もうちょっとで初勝利だったのに…」
両手でドアを目一杯押し開き、普段より三割増し据わった目で自分の上司を睨むは、エディことエドヴァルド。怒りの
オーラに慄きつつも、卿はあまり残念そうにせず寧ろほっと息を吐き、アヴェスタは露骨に不満げな溜息を吐いた。
「アヴェスタ。お前も、この方の戯れに追従するな」
そんな二人をものともせず、エドヴァルドはつかつかと近づくとアヴェスタの首根っこを掴み、猫のように椅子から持
ち上げる。あーれー、とどこか楽しそうな悲鳴と共に、ドアの方に追いやられた。
「…ん? こら、駒を持っていくな。置いていけ」
ふと、アヴェスタが指で持ったままの兵士の駒を指摘すると、ゲッテンバウアー卿もあ、と気付いた。盤上に残ってい
る駒と、お互い捕獲した駒、ざっと数えても全部揃っているのはすぐに解った。その時既に部屋のドアノブに手をかけ
ていたアヴェスタは、摘んだ駒を目の前に翳してにっこり笑った。
「ご心配なく。これ、自前ですから」
言葉と共にぱちんっ、と指を鳴らすと、駒はふわりと煙のように霞んで消えてしまった。
「…幻の魔法か」
「あ〜、ず〜る〜い〜」
呆れたように米神を押さえるエドヴァルドと、急な形勢逆転の原因が解って頬を膨らませる卿に対し、アヴェスタは何
の気負いも無く、軽くマントを摘んで優雅に礼をしてみせた。
「これは罠ですが偽りでは有りませんよ? 貴方が信じた時点でこれは真実なんですから」
幻の魔法は「それを幻である」と疑った時点で打ち消すチャンスが生まれる。不審な駒の出所を疑わなかった時点で、
少なくともその駒に対してはアヴェスタの勝ちなのだ。
「うう〜ん悔しい〜」
「能力の無駄使いをするな…今日は宿屋で待機しているように」
「それは了解ですが、あ、そんなご無体な、」
あまり悔しく無さそうににこにこしている卿を置いて、エドヴァルドはアヴェスタの背中をぐいぐい押して部屋から放
り出した。抱えてきた羊皮紙の束を遠慮なく自分の上司に突きつけると、ゲッテンバウアー卿はいつもより深く見える
笑みで閉められたドアを眺めていた。
「卿? 何か」
「ん〜、僕の部下は皆良い子だねって思って。勿論エディもね?」
「…仕事を開始してください」
「つれないなぁ〜」
唐突に言われた言葉の意味が解らず、軽く首を傾げたエドヴァルドだったが、この人の言葉を裏読みするだけ無駄と解
っているので、何事も無かったようにどさりと紙束を相手の手の中に押し込んだ。
アヴェスタは軽い足取りで屋敷の外に出た。太陽は明るく眩しく降り注いでいて、自然に顔が綻ぶ。
エドヴァルドの言うとおり宿に戻るのも良いが、折角なのでこの庭で陣取っているだろうグリードを探して遊ぶのも良
いし、行きつけの店で寛ぐレキを誘って町に繰り出すのも良い。やれることは幾らでもある。それがとてつもなく幸せ
だと、彼は知っている。
過去が重くないといえば嘘になる。でも、放り出せるものではないのだから、このまま抱えて墓まで持って行ってやろ
うと思う。途中で潰れてなるものか、まだこの世界はこんなにも――――楽しい。
「――――さぁ、どうしましょうかね?」
思わず呟いた言葉に自然に笑い、アヴェスタは歩みを速めた。
や…やっと出来た…!(汗)いやーここまで難産になるとは思わなかった…
いや、マイPCの過去話、折角色々設定つけたんだから書いちゃえ書いちゃえ!と軽い気持ちで書き始めたのですが、
自分のキャラにカコイイ台詞言わせるのって何か凄い恥ずかしい(痛)。ので、これだけ時間がかかってしまいました…トホ。
私信ですがあづま先輩、エディとゲッテンさん勝手に使ってしまい申し訳ない。他両名も、この設定オカシイワヨ!という指摘は大歓迎でございます。