起:あるサリカ神官の挫折と憤怒。




彼女は、バドッカ頭地区にて居を構えるある有力者の一人娘として生まれた。
この町が絶対的な自由都市と定められた頃から、生まれつき魔法の素質を持って生まれる者が多い家系故に、ガヤンや
サリカの神殿に沢山の神官や高司祭を輩出してきた家で、彼女は気位も高く才ある淑女として育てられた。
それは彼女の心に、修正できぬほどの虚栄心を与えた。富も人望も自分に集まって当然と言う顔をして、逆らうものを
徹底的に否定した。そんな彼女から心ある人々はだんだんと離れていったのだけれど、勿論それにも気付かなかった。
彼女の転落が始まったのは、成人を迎えサリカに入信した頃からだった。当たり前のように信仰に魔法がついて来るこ
の世界において、何故か彼女は魔法を使うことが全く出来なかった。マナを操る術が無いのか、何が原因なのかは解ら
ずじまい。普通ならば決して自分を卑下することには繋がらなかっただろうが、―――事実信者でも魔法を使わないも
のは大勢いる―――彼女にとっては耐え難いほどの屈辱だった。
一族の繁栄の理由を失ってしまった彼女は、ますます孤立していくことになった。ただへばりついて豊かさのおこぼれ
に預かろうとしていた者達も、彼女を見限りこぞって去ってしまったからだ。挫折と絶望は、彼女から笑顔と余裕を削
り取り奪っていった。一族ですら彼女を否定し、彼女は衝動の赴くままに、自らと家名を同時に傷つけた。誰とも知ら
ぬ男に身を任せ、子供を身篭ったのだ。
気がつけば、一族のものは散り散りとなり、使用人すら殆どいなくなった広い家に、彼女は赤子と共に暮らすことにな
った。
子供が出来ても、彼女は変わろうとしなかった。否、変わりたいと望んでいても変わる方法が間違っていた。彼女は只
管古い文献を読み解き、魔法を修得する方法を夢中になって探した。魔法さえ使えれば、自分は再び幸せになれる。そ
う信じて、只でさえ残り少なくなっていた財を使い続けていった。
子供は、男の子だった。彼女は自分が親に与えられた通りのしつけを子供に与えた。失敗したり、あやまちを犯した場
合、容赦なく手を打って鍵のかかる書庫に閉じ込めた。許しを請うて泣く子供の声は、彼女に不快感しか齎さなかった。
ある日のこと、子供がとても嬉しそうな顔で彼女の前に現れた。
「母さま、見て! すごくキレイなものが出来たよ!」
そう言って子供は、自分の手の中に美しい光を放つ星を作り出して見せた。それは、赤い月の主神・シャストアが信者
に賜る幻の力。ろくに教育も受けていない彼が作り出せたのは、彼の才能と、書庫で埃を被っていた魔導書のおかげだ
った。自分の作ったものが何か解らないけれど、きっと母は褒めてくれる。そんな期待を込めた目で、子供は彼女を見
上げていた。
彼女は怒りのあまり目の前が真っ赤になった。自分がどれだけ請うても手に入れられなかったモノを、目の前の子供が
持っている。どこの馬の骨とも知れぬ男の精を受けた子供が。自分の血を分けているからこそ、許せなかった。
怒鳴りつけ、叩き、引き摺って書庫へ放り込む。尚且つ、先日備え付けておいた足枷を子供の細い足に嵌め、壁と鎖で
繋ぐ。部屋の中は歩き回れても、ドアに近づくことが出来ないようなものを。彼女にとって最早、出して欲しいとドア
を叩く音さえ不快なものだったから。
泣き叫ぶ子供の声を無視して、彼女は足音も荒く部屋を出て鍵をしっかりとかけた。