別個体を「特別」と思う感情。
今まで自分には理解出来なかったそれを、認識したいと望んだ。
しかしそれは身の内に問うには余りにも重すぎる命題で。
他の存在の力を借りなければならない、と結論付けた。
恋愛処方箋
「…で、俺のとこに来たってわけ?」
「はい、よろしくお願いします」
昼下がりの芦屋荘。202号室のちょっと毛羽立った畳の上に、小田桐はぴしりと正座していた。招かぬ客に座布団を出し
てやるほどここの家主は寛大ではないことは知っているし、その事に関して不満も無かった。
「他の奴に聞きゃいーじゃん」
「色々と模索したのですが、他に適当な方を見つけられませんでした」
面倒くさい、と顔に書いているこの部屋の家主であるくゆも、渋々とだがその前に胡坐をかく。小田桐としても、最初は勿
論もっと親しい友人に問おうかと考えたのだが、煙に巻かれてからかわれるか、理不尽に使い走りをさせられるか、問答無
用で斬り捨てられるか、とろくなシュミレーションが出来なかったが故にこの隣の家までやって来たのだった。
「何卒、ご教授をお願いします」
「っつってもなー。話聞く限り、アンタの考え方のがややこしすぎ。そんなん考えて認識するもんじゃないだろ?」
「そう、なのかもしれませんが…生憎自分の中には、そういうルーチンが存在しないようなのです」
深々と頭を下げる小田桐は、自分の過去を知らない。しかし、嘗ても今も、その手の感情自体が自分の中に希薄だったのだ
ろうというという認識は出来ている。元々必要としないのか、自ら打ち消そうとしていたのかは解らないが。
「あーめんどいーめんどいよー。いろはちゃんみたく可愛いお人形だったらも少し楽しいけど、お前みたいなでかい図体い
らないよー。もう帰れよお前ー」
「そこを何とか…。例えば、上総さんは神崎さんの事を、どのような存在として認識しているのでしょうか?」
「頭っから足の先まで食い殺したいぐらい可愛い」
「………それは何かの比喩表現でしょうか?」
「あああ本当めんどいうざいもう帰れー」
かみ合わない会話にもう嫌気がさしたのか、もう聞く気が無いと言わんばかりにくゆは畳にごろーんと寝転がった。取り残
された小田桐は途方に暮れつつも、必死に先程の言葉を吟味している。
「…確か、食するという単語には生殖行為という意味合いも含まれていましたよね? こういう認識で宜しいですか?」
「ん、まぁ正解。お前も解んないならあの子、累ちゃんだっけ? 一発やってみりゃいいじゃん。一番簡単だよ」
投げ遣りこの上ない回答だが、くゆは結構本気だった。人同士なら不実と取られる行為でも、夢魔であるくゆにとっては当
然の行為だ。しかしそれを小田桐は認識しておらず―――うっかり地雷を踏んでしまった。
「…男性同士の生殖行為に何か意味があるのですか?」
「あ゛?」
くゆの声が一段階低くなったが、小田桐は気づかずに言葉を続ける。
「生殖行為というものは、子孫を作り自分の遺伝子を次世代に伝える為の行為ですから、自分と累さんが行っても無意味だ
と思うのですが…」
「…ふぅー…ん。相談に乗ってやってる俺の前で、そういうこと言うか」
「あれ? 上総さん、目に殺意が入ってますけど、対象は自分ですか??」
「あっはっは、アンタも少しは危機管理能力出来てきたじゃん。……ふざけた事抜かしてんじゃねぇぞゴルァアアア!!!」
一瞬の沈黙の後。
どんがらがっしゃーん!! とくゆの怒りの余波で芦屋荘全体が揺れた。「何をやっておるかー!!」と階下から響く大家
のお叱りも気にせず、くゆは自分より縦幅も横幅もかなりある小田桐の襟首を掴み、がっくんがっくん揺さぶった。
「無意味だぁ!? そーいうセリフは一度でも夢魔のフルコース味わってからにしやがれ! 体も心も魂も全部捨てちまう
だけの価値があんだよ! それが解んねーなら今すぐ死ねそして死ね!!」
「え、あの、真の死まで迎えないと駄目なんですかっ!!?」
「それぐらいしねーと馬鹿が治んねぇだろうがーっ!!」
いまいち緊張感の無いやり合いだが、くゆにとって先刻の小田桐の台詞は、夢魔のアイデンティティの全否定にも等しかっ
たのだ。快楽を与えてその身を貪るのが、夢魔の会話であり食事であり愛し方でもある。それ故に、その行為を生殖以外の
意味が無いと言い切ってしまった小田桐が許せない。
若干自業自得とはいえ、百年に一度のマジギレをかましているくゆに締め上げられる小田桐にはそれを止める力が無く、た
だあうあうと揺さぶられるしかない。
とそんな時、援軍はやって来た。がちゃりと部屋のドアを開けて、第三者が駆け込んできた。
「くゆ、今の魔力は一体―――…?」
丁度仕事から帰ってきたらしい英瑠が、目の前の光景を目に入れてぽかんとする。そしてその一瞬の間にくゆの目がぎらー
んっ!!と光った事に、残念ながら小田桐も英瑠自身も気づかなかった。
「ああ、お帰りなさい神崎さん」
「小田桐、何故ここに居るんだ? く―――ゆっ!?」
律儀に挨拶してしまう小田桐に会釈を返しつつ、何の警戒も無く近づいて来た英瑠は、くゆの名を呼ぼうとした瞬間―――
くるりと押し倒された。
「エルー。ちょっと付き合って♪」
「え………っんう――!!?」
にこー、という満面の笑みで言い、状況を掴めず動けない英瑠をがっちり両腕で押さえつけたまま、くゆは笑ったままに深
く深く口づけた。
「ええええええ? あ、あの上総さーん?」
あんまりな光景にか細い悲鳴を上げてしまう小田桐に構わず、たっぷりと唇を堪能し、僅かな抵抗も消えてしまった事を確
かめて―――漸くくゆは身を起こした。英瑠の方は、不憫にも瞳を潤ませてくたり、となって畳から起き上がれない。くゆ
の方は息一つ乱さず、小田桐に向かってにぃ、というチェシャ猫笑いを見せ、正しく悪魔のような提案をした。
「…言っても解んねぇんだろ? 実地で教えてやるよ。ただアンタをヤるのもヤラれるのも趣味じゃないからエルに手伝っ
てもらう。見てもいーけどエルの方はあんまり見ないように! …エル、ちょっと我慢してね♪」
「ぁ―――ちょ、待っ…」
静止の声は、小田桐のものか英瑠のものか。
それから数時間、表ではとても書き表せない饗宴が続けられることになった。
×××
「……はぁ…」
よろりと外に出、既に日がとっぷりと暮れていることに気づいて小田桐は思わず息を吐く。
すっかり満足して機嫌を直したくゆに部屋から叩き出されたが、自分の部屋に戻る気も起きず、通路の手摺に体を預けて夜
空を仰いだ。
散々見せられた不埒な行為は、不快だとは思わないが楽しいとも思わない。やはり小田桐にとっては、その行為は生殖以上
の意味が見出せない。
「――それじゃ、どうもありがとうございましたー」
「?」
扉の開く音と、良く知っている声が下の階から聞こえ、首を捻り続けていた小田桐は何事かと思い下を覗き込んだ。
そこには丁度談話室から出て来た累が居て、視線に気づいたのかはっ、と顔を上げ。
「…小田桐さんっ!? きゃああ、偶然ですねーっ!」
両手を口元にやって嬉しそうに叫ぶと、軽やかな足取りで階段を昇り切り、小田桐の目の前で立ち止まって笑う。
こういう仕草や行動を真っ当な高校生男子が行うと、大抵はやや怖気を齎すものだが、不思議と違和感が無い上に小田桐も
すっかり慣れてしまって、こちらも僅かに笑んで挨拶を交わした。
「こんばんは、累さん。もう遅いですけど、何をやっていらしたんですか?」
「はいっ、大家さんにお料理習ってました! 小田桐さん、和食がお好きだって聞いたから…明日のお弁当、期待してて下
さいねっ!」
和食が好き、というよりも、記憶を失ってから一番良く食べているのが和食三昧の美雪の賄だった為、一番食べ易いという
のが事実なのだが、小田桐にはそれを指摘する必要性を感じなかったので頷くに留めた。朴念仁な彼にとっては珍しく甲斐
性のある切り返しである。自覚があるかどうかは別にして。
「いつも有難うございます。でも、学校もアルバイトもあるのに、お疲れじゃありませんか?」
つい最近このアパートに入居した累は、今から「出世払い」と言われた家賃を貯めておこうと、日々アルバイトに明け暮れ
ている。勿論学業もしっかり行っていて、忙しそうな様は小田桐にも良く解るが故の指摘だったのだが。
「大丈夫ですっ! あたし、今毎日本当に楽しいんです。やせ我慢じゃなくて、本当に。だから、平気ですっ」
嬉しそうに頬を紅潮させて、もう一度見せたその笑顔には、僅かな翳りすら無かった。
(―――――ああ、)
それを見て、小田桐の脳裏に僅かに電流が走る。
この笑顔を取り戻せた事に安堵する。その顔に涙が見えないことに歓喜する。
この感情を何と呼ぶのか、自分はまだ認識できない。別個体の喜びを、自分の喜びに換算できる事は、この地で生きていく
内に学ぶことが出来た。
だが、これは違う。嬉しいだけでなく別の何かが、確かに存在する。それが何なのか、まだ解らない、解らないけれど。
―――あの行為を行えば、理解できるのだろうか?
す、と太い腕を伸ばし、大きな両手で累の肩を掴む。
「え?」
驚きに目を見開く累の、余り高さの変わらない顔に自分の顔を近づける。
恐らく、神前英瑠が上総くゆにされて、一番喜んでいたであろう行為を反駁する。
目算を誤らないように、目を開けたまま自分の唇を近づけると、咄嗟に累の方が目を瞑った。
ふにり、と予測したよりも随分と柔らかい感触がして、思わず離す。無言のまま、小田桐は僅かに首を傾げた。やはり自分
の中の何かが変化した形跡は見られなかったからだ。
しかし勿論―――累にとっては、それどころではなくて。
「………ふぇ…」
「あ、累さん?」
僅かに声を漏らした途端、ずるずるぺたんっ、と冷たい鉄製の廊下の上に座り込んでしまった。慌てて小田桐が両腕を掴ん
で引き上げるが、どうも自分の足で立てないらしい。
「ぁ、の…ごめんなさ……」
「はい?」
謝られる理由が解らずまた首を傾げる小田桐に対し、累は両手で鼻と口を押さえ、真っ赤になって呟いた。
「…鼻血吹きそ……」
「ええっ!?」
俯いた頭から出ている耳も赤く、体温も高い。自分の行動が劇的な変化を齎してしまったことが信じられず、小田桐はただ
オロオロとするしかない。
「す、すみません、大丈夫ですか累さん…!」
「ぃぇ、はぃ、らいじょーぶれす…」
何とか鼻からの出血を堪え切ったのか、よろよろと累が立ち上がる。一見積極的に見えても中身ははずかし乙女な彼にとっ
ては刺激が強すぎたようだ。それでも心の中では先刻の感触を自分の中のお気に入りフォルダに格納するのに忙しい。
だから当然、外に遊びに行っていた自分の「守護者」が、足音を忍ばせて戻ってきたのに気付くこともなく。
先にその気配に気づいてしまった小田桐は僅かに顔を青褪めさせて、累の足元から漂ってくるひんやりとした殺気に怯えて
言い訳を紡ぐ。
「…はっ。ふくさん、誤解です。確かに今現在の状況は自分が引き起こした事ですが、それは決して累さんを傷つけたりす
る意図は全く無く、自分自身にも理由が不明であり如何しようも」
ざしゅっ。
「痛いですふくさん! クロスネイルアタックは勘弁してくださいっ…!」
「シャー!!!(訳:累に何勝手に手ェ出しとんねんゴルァ)」
当然その言い訳は聞き届けられることは無く、ひらりと飛び上がったラプラスの魔の一撃が小田桐の両頬に炸裂した。
「え、ええー!? ふくちゃん待って、落ち着いてー!」
「喧しいぞ、時間を考えんかっ!!」
飼い主と大家の制止の声も聞かず又聞けず、アパートの敷地内で追いかけっこを開始した小田桐は。
やはり先刻の行為は危険を齎す為、暫し封印すべきだろうと、また朴念仁な事を考えているのだった。
かなり前に小田桐の中の人にリクエストされますた。
おおお本当遅くなってゴメン…最終回は累ヒロインだからね!(嫌な私信)