Good morning, Mr.fear
びゅっ、と鋭利な刃が夜の空気を裂く。左へ右へ、上へ下へ、無造作と見せかけて相手に的確な斬撃を与える事の出来る
武技を、その刃を振るう腕は持っていた。
「――――ふっ!」
最後に一度、思い切り袈裟懸けに振り下ろし、エドヴァルドは腕を退き、ハードブレイカーを鞘に仕舞った。訓練とは思
えないほど見事な型であった筈なのに、その顔には珍しく露骨な苛立ちが浮かんでいる。普段遊び呆ける上司を追いかけ
る時とは比べ物にならないほどの。
大きく息を吐き、踵を返すと未だ僅かに明かりが灯っている宿へ足を向けた。
「あれ、エディだ。おかえりー」
「…まだ起きていたのか? レキ」
足音を忍ばせて戻ってくれば、もう店長さえいない薄暗い宿屋付きの酒場にて、見た目だけなら可憐な少女に見える自分
の仲間が、一人優雅にワインを傾けていた。
もう宵の口はとうに過ぎ、エルファのグリークは宿のすぐ傍の樹の下で丸まって寝ているし、アヴェスタもブガンももう
眠りについているだろう。きっとそれを確認してからレキは階下に降り、ワインを開けたに違いない。無類の酒好きであ
り、一度呑むと止まらないブガンが起きていればすぐさま飛びついた筈だ。
しかしこんな花の無い酒場で一人、というのも彼女にしては珍しい。そんな思いが視線に篭ってしまったのか、むぅ、と
レキが桜色の唇を尖らせた。
「いくらなんでも、今の状況で単独行動がマズいことぐらい私にだって解るわよ。だから子猫ちゃん探しに行きたいけど、
我慢してるんじゃないっ」
「ああ…悪かった」
ぷーん、と唇を尖らせるレキだったが、昼間のうちにこの村に住まう女性をあらかた吟味しつつ「不作だわ…ふくよかで
健康的な魅力は解るけど、私の趣味じゃないの。もっとこう、細身な美人さんはいないかしら」とぼやいていたことをエ
ディは知っている。
「…眠れないの?」
「…、別に。いつもの訓練をしていただけだが」
不意に、レキの声のトーンが落ち着いて、エディは我に返った。レキは片肘をついて頬を支え、僅かに首を傾げてエディ
の顔を覗き込んでいる。
普段は子供っぽい癖に、こういう時はまるで姉が聞き分けの無い弟を宥めているようで、どうもエディは反撃がしにくく
なる。彼女が自分より年上である事は間違いあるまい、と思うのはこんな時だ。本人に聞いても「切捨てで二十歳」とし
か聞ける言葉は無いが。
「どうせあのモジャ毛のことでも考えてたんでしょ」
「、そんな事は」
「趣味悪いわよエディ、あんなのに恋煩いだなんて」
「断 じ て 違 う !」
眦を吊り上げて否定するエディに、レキはくすくすと笑いながら手で座るように促す。大声を出してしまったことと、冷
静さを失ってしまった事に対しばつが悪かったのか、渋々とそれに従った。
「俺は単に油断をしていないだけだし、確実に勝利する為に鍛錬を怠りたくないだけだ」
「解ってるってば、冗談じゃない」
ソイルのお家騒動に積極的に巻き込まれる破目になってしまった自分達の前に現れた、黒の月の魔物―――人の血を啜る
不死者、アーリオ。フォルベルト家の跡取りである姫君をかどわかし、王家そのものを脅迫してきた。
その企みはエディ達の活躍によって回避できたものの、アーリオには逃げられてしまった。尚且つ、次はフォルベルト領
主そのものが狙われ、正体不明の毒を盛られて意識を失っている。それを助けられるであろうブガンの妻を頼り、現在ド
ワーフの村へ向かっている最中なのだ。
何度も取り逃がし、煮え湯を飲まされた敵を、謹厳実直を絵に描いたようなエディが目の敵にするのは当然のことだろう。
しかし、ここ数日、自分を苛めるかのような訓練を夜遅くまで続けているのは、それとは別の苛立ちが篭っているように
見える。
「責任感が強いのはエディのイイトコだけど、それで自分を責めるのはお門違いじゃない?」
「…そんなつもりは無い」
「じゃ、そういう事にしといてあげる」
憮然として言われた答えに満足したらしく、レキはワインをつーっと呷った。話は終わりと判断したのか、エディも立ち
上がり部屋に昇る階段へ向かう。
「おやすみ、エディ」
「ああ、お休み。…お前も、早く寝ろよ」
「はーい」
後はもう迷い無く足を進めるエディの背中を、レキは丁度半々の好奇心と心配の篭った視線で見送った。
部屋のドアを閉め、剣を置いて鎧を外す。慣れた作業なのですぐに終わる。衣服を僅かに緩め、硬いベッドの上に寝転が
る。寝心地はけして良いとは言えないが、旅をしていれば野宿が当たり前の自分達にとってはありがたい寝床だった。
片手の甲を額に当て、低い天井を仰ぐ。目を閉じてみるものの、眠気は全く訪れず、すぐに諦めて瞼を開いた。
ここのところ、酷く眠りが浅い。心の中の苛立ちが原因である事は自分で解っている。少しでも訓練で身体を酷使すれば
眠気も訪れるかと思っていたのだが、逆効果のようだ。却って精神が昂ぶってしまったような気がする。
「……くそ」
噛み締めた歯の間から、滅多に零れない悪態が漏れる。忘れられない声と姿が、闇の中から滲み出てくる。
『―――流石は、ガヤンの騎士殿と言った所か』
エリューシア嬢救出の時、初めてアーリオと切り結ばんとしたその瞬間。あの男は嘲るような笑みを浮かべ―――エディ
と視線を合わせた。たったそれだけの行為で、あの男は魔法を発動させたのだ。
『では、こういうのは如何かな?』
魔法は熟練すればするほど、使用する際の手間が減るという事はエディも知っていた。しかし自分から見ればかなりの使
い手だと思われるアヴェスタやレキでさえ、集中してから小さく呪文を唱え指先で印を結ばなければ魔法を使う事は出来
ない。故に、その行為が信じられず咄嗟の抵抗が出来なかった。
『う―――ぁ…?』
無様に漏れた自分の声を思い出し、悔しさが心の臓を満たす。一瞬であの男に穿たれた魔法は、<恐怖>。心に直接働き
かけ、対象に対する恐れを植えつける呪文だった。
『…………ッ…!!』
耐え切れなかった。目の前の男に対する恐怖に押し潰されそうになり、足が自然と後ろに下がってしまった。この自分が、
邪悪を目の前にして退いてしまったのだ。屈辱以外の何者でも無かった。
「アーリオッ…!」
ぎ、と唇を噛み破り、その痛みで我を取り戻す。ここは場末の宿屋であり、あの男は何処にもいない。そも、あの魔法の
効果は既に消え去っている。もう惑わされることなど有り得ない。
その筈、なのに。
『さぁ―――如何するね?』
まだ耳の中に残る嘲りの言葉が、背筋をぞくりと震わせた。一度目を閉じまた開けると、部屋の隅に凝り固まった闇が見
える。そこから紅い瞳が未だこちらを見ているような気がして、怖気が走った。
「………黙れっ…!」
それを振り払いたくて、思い切り硬い枕に後頭部を打ちつける。まだ暫くは、眠れそうに無かった。
「全く。知らないのかしら、エディったら」
未だ一人、ワインを片手で弄びながらレキは呟く。
「好意も悪意も、他人に向ける感情としては最大級に強いものなのよ。方向が違うだけで。『好き』の反対は『嫌い』じ
ゃなくて、『どうでもいい』なんだから」
だから、今の状態は正しく。
「どう見ても恋煩いじゃない。気になって眠れないなんて。…可愛い子猫ちゃん達だけじゃ飽き足らず、エディまでなん
て欲張りすぎだわ。やっぱりあのモジャ毛、今度会ったら切り落としてやるんだから」
言っている事は冗談交じりだが、その瞳は自分の可愛い弟を悩ます存在を叩きのめしてやろうという本気で、輝いていた。
やっぱりかなり前にアーリオの中の人から頼まれた吸血鬼×ガヤン騎士、のつもり。
何故かレキの方が出張ってしまいますた。ごめんよ。
別に具体的なことは何一つしてないのに何故いかがわしいのか…全部アー様のせいだ(ぬれぎぬ)