剣の舞ソード・ダンス
何故自分が追われているのか、彼女にはさっぱり解らなかった。
ヒールの高い靴で無理やり走ったせいで、太股も脹脛も踵も悲鳴をあげている。
それでも足を動かさないと、あの男に―――時代錯誤にも程がある、大振りの日本刀を持った男に、殺されてしまう。
いつのまにか、下水道の中にまで逃げてきてしまったらしい。ぬるぬるとした床が不気味で、歩きにくい。
ばしゃん、と大きな水音がして、それがざばざばと近づいてくる事に彼女は戦慄する。
あの男が、来た。恐怖のままに振り向くと、入り口から入ってきているらしい僅かな光で、ドレッドに編みこまれた男の髪と、
その光を照り返す刀が見えた。
悲鳴を堪え、彼女は必死に走り出した。
×××
そもそも、はじまりは1週間前。
街を歩いていた時、彼女は奇妙な三人組と擦れ違った。一体何が基準で集まっているのかという個性的な面々で、人々の視線を
かなり集めていた。
1人は、真ん中に立っていた、黒髪ドレッドの男。目つきは鋭く、無遠慮な人々の視線を睨み返すとあっという間に蹴散らして
しまう、そんな剣呑さを持った男だった。
もう1人は、その男に腕を絡ませて歩いている、綺麗な娘。愛らしい顔立ちと美しい白銀色の髪で、その髪で顔半分を隠してい
る事と、あまり飾り気のない服を着ている事を勿体無いと思ったぐらいだ。
そして最後の1人は、娘とは逆側の男の腕にやはりしがみ付いてにこにこ笑っている、奇妙な青年だった。髪は灰色と言うには
光沢を持ち、銀と呼ぶにはくすみ過ぎている不思議な色だった。
その青年は何やら男に話しかけながら、まるで子供のように無邪気に笑っていたのだが…彼女と擦れ違った瞬間、一瞬だけ表情
を無くし、男に向かってこう呟いた。
「―――アマサキ。獲物がいたよ」
×××
そう、あの恐ろしい男は、「アマサキ」と呼ばれていた。苗字なのか名前なのかも、彼女には解らない。そんな事解る必要も無
い。今欲しいのはその恐ろしい男から逃げられる足だ。この遅さが憎らしい、いっそ切り落として挿げ替えたい。
そんな事を考えながら走っていたせいで、水の流れに足を取られた。ばしゃあん!と水を蹴立てて転び、酷い臭いに辟易とする。
それでも止まれなくて、何とか立ち上がろうとして―――
「―――えーと。こういう時には、何て言うんだったかなぁ?」
目の前にいつの間にか立っていた青年に、息を飲む。間違いない、あの時男と一緒にいた青年だ。あの時と変わらない無邪気な
笑みを浮べたまま、何事かを逡巡している。
「『おつかれさま』だったっけ? 『残念でした』だったっけ?」
助けて、と思った。見逃して、と言いたかった。それなのに、唇が動かない。
「うーんと…でもこれだけは、間違いないよね」
青年の笑顔は揺らがない。恐怖を湛えているであろう彼女の顔を見ても、何の感慨も沸かさない。
「『さようなら』だ」
ブン、と家電のスイッチが入ったような、僅かな音がする。咄嗟に彼女は浅い水を蹴り、後退った。過たず先刻まで彼女が居た
場所を、ザンッと光が抉った。
「っ…きゃあああああ!!」
耐え切れずに潰れた喉で悲鳴をあげ、彼女は走り出した。青年は動かない。一振り、いつのまにか手に持っていた光の刃をすぐ
に消し、笑顔のままこくり、と子供のように首を傾げた。
「何で逃げるのかなぁ? 後でアマサキに聞いてみようっと」
×××
次の異変は、それから三日後だった。
「こんばんは」
やはり夜の街を歩いていた自分の前に、銀髪の娘が現れた。
あのアマサキという男に腕を絡め、幸せそうに笑っていたはずのその娘は、何故か酷く悲しそうな顔で彼女の方を見ていた。
「あのね、貴方には解らないかもしれないけど。自分が今、何をしているのか解る?」
謎かけのような言葉に、彼女は首を傾げてしまった。自分は、自分が出来る最大限の事をやっている。それは間違いない。途方
に暮れつつもこくりと頷くと、やはりその娘はそう、と悲しそうに呟いた。
「ごめんね。貴方はもう助けられないよ」
夜風が吹いて、銀色の髪を嬲っていく。その下に見える顔に自然と目をやり、彼女は驚愕した。
美しい娘のその顔半分は、まるで腐り落ちたかのように不気味に歪んでいる。潰れた瞼からそれでも涙を流し、娘は宣言するよ
うに彼女に告げた。
「アマサキが、きっと貴方を終わらせてくれるから。それまで、待っててね」
×××
あの娘は死神だったのだろうか、と彼女は思った。
恐ろしい男に自分を襲わせているのは彼女なのだろうか。―――そうとは思えない。少なくともあの時見せた涙は、贋物ではな
かったと思う。
思考に逃げようとした頭を必死に振る。今は逃げなければならない。もう感覚の無い脚を必死に回し、奥へ向かって走る、走る。
「お願い、止まって!」
「―――!!」
ばしゃんと水を蹴立てて、立ち塞がる人影。関わっている暇は無いとそのまま駆け抜けようと腕を翻して―――目の前に現れた
のがあの日の娘であると認識し、立ち止まってしまった。
「お願いだから、もうその子を解放してあげて!」
銀糸の娘の手の中には、禍々しい形の大振りの黒剣が収まっている。ああ、やはりあの子は死神だったのだ、と彼女は納得した。
あの男と同じだ、自分を殺しに来たのだ。
「負けないで―――、貴方の意識が残ってるなら、」
もう娘の言葉に耳を傾ける必要は無い。もう一度、腕を持ち上げ振りかぶり―――
「その剣から手を離して―――!!!」
その言葉に。え、と小さく呟いて、彼女は。
自分の手の中にしっくりと納まっている一振りの剣に、漸く気がついたのだった。
×××
ああ、思い出した。
全ての始まりは、一週間前。
会社帰りに、何気なく普段は寄らない繁華街を通り抜けようとした時―――紅い剣を持った老人に襲われた。痛みなんて感じる
暇もなく、腹と胸とを切り裂かれた。
どさりと地面に倒れ、呆然としている耳に僅かな言葉が届いた。
『この身体は弱すぎる―――次はこれにしよう』
そんな風に、簡単に。
彼女の身体は、再び動き出してしまった。
その後は、気の赴くままだった。会社に行く事には思い至らなかったし、傷は痛いけれど動けないわけではなかった。
そして街をうろついて、目に止まった人を殺して、殺して、殺して、殺した。
彼らが使った手と同じ。この下水道まで追い詰めて、恐怖に慄く顔を楽しんでから、殺した。
死体はヘドロが隠してくれるから、何も心配要らなかった。
長く殺しを楽しむ為に、努力を惜しまなかった。
それを可笑しいと思う思考すら、もう麻痺していた。
だって自分は、剣になっていたのだから。
×××
「いまいち解らねぇな。生きてんのか、死んでんのか」
ばじゃ、と水を蹴る音。振り向かなくても彼女には解る。来てしまった、あの男が。
「生命反応はゼロだよ。肉体は活動停止してる」
どんなカラクリか、まったく水音を立てずに悠々と歩いてくる青年は、やはり笑ったままだった。
「多分、だけど。まだ残ってたその女の人の魂ごと、捕まっちゃってるんだと思う」
銀髪の娘は、男に涙を見せたくなかったのか慌てて拭い、掠れた声だったけれど冷静に答えた。
「どうしようか? 助けた方が、いいのかな?」
こくり、と子供のように首を傾げて青年が問うが、アマサキという男よりも先に娘が首を横に振った。
「もう、無理。溶け合っちゃってる。わたしと、一緒」
「成る程な」
ふんと一つ鼻を鳴らし、刀の峰で肩をトンと一つ叩く。
「どっちにしろ詰めだ。ここで終わらせて貰うぜ」
切っ先がひたりと彼女に向けられる。
そこで彼女は、初めて微笑んだ。
一度死んだという自覚が出来たことで、ほんの僅かの残り糟だった人間らしさが、完全に消えてしまったらしい。
自分の本体である剣をうっとりと見つめ、じゃいっ!と水面を円を描くように切り裂く。
「っアマサキ!」
「敵影確認―――合計12体。囲まれたね」
その動きに答えるかのように、溝泥の中からヒトガタが浮かび上がると4人―――否、4本の剣を囲んだ。今までの殺人事件の
犠牲者だろう。
娘が臆した声をあげ、青年が冷静に分析する。汚泥のヒトガタ達は、紅い剣と同じように口を作って歪めると、包囲を狭める為
じりじりと近づいてくるそれらに対し――――男は、それとは比べ物にならないほど凶悪な笑みを浮べた。
「ビビってんじゃねぇぞ、ヘメラ。とっとと来い! ミラージュ、蹴散らせ!」
「う、うんっ!」
「イエス、マスター♪」
発破に娘が背筋を伸ばして返事をすると、青年は悪戯っぽく笑っておどけて一礼をする。いつの間にか彼らも、自分の手に得物
を構え―――戦いが始まった。
―――ぞんっ!!
最初に繰り出されたのは、アマサキ―――天裂の一刀。周りを固めようとのろのろと近づいてきた泥人形を、2,3体纏めて斬
り飛ばした。
「―――やぁっ!!」
ヘメラと呼ばれた娘も、身体に不似合いな程の大振りの剣を振り、人形を汚泥に再び沈めた。決して恐怖が無いわけではないが、
それを必死に奥歯で磨り潰して戦っている。
「っ、と…ここでいいかな」
1人悠々と緩慢な攻撃を身軽に避け続けていたミラージュは、一度光の刀身を手元の柄に仕舞い、攻撃プログラムを発動させる。
今までの笑顔が全て掻き消え、無表情のまま言葉を紡ぎ出す。
「―――ターゲット・オールロック。起動プログラム:CODE−MIRAGE」
ヴヴヴヴンッ!!
その声に答えるように、彼の周りに本体と同じ大きさの光刃が何本も現れる。
「エネルギー全面展開:完了…………ターゲット・オールデリート」
ドシュドシュドシュドシュッ!!
その声と同時に、光刃が全段発射され―――人形達は悲鳴も上げずに、光に身体を貫かれて崩れ落ちた。
ギギィン!!
それと同時に、紅い剣が天裂の持つ刀と打ち合わされる。早さも重さも充分、人間ならばそれだけで命を落としてしまう程の代
物。死体をこれだけ操れるというのは、確かに恐ろしい力の持ち主であると言えた。
しかし天裂は、打ち合わせた瞬間に心底不満げに眉を顰め、余裕すら持って刀を引いた。
「詰まらねぇな。その程度か?」
剣の眉も同じように顰められ、再び構えを取る。長年人の血を啜ってきた魔の剣として、侮辱は耐え難かった。そんな剣の憎し
みなど意に返さないとでも言いたげに、あくまで不機嫌そうに天裂は返す。
「食っても美味くなさそうだがな……俺らの縄張りでやりすぎると疑われてうざってぇんだよ。―――とっとと失せろや、鈍ら」
そして彼は、漸く目の前の敵を切り伏せたヘメラに手を伸ばす。
「来い!」
「うんっ!」
ヘメラが剣を持っていない方の手でそれを掴むと、一瞬光が溢れ―――次の瞬間、天裂の手の中に刀が納まっていた。彼自身の
本体でなく、黒く染まった大刀。
両手でそれを構えた瞬間、天裂の姿が変わる。ドレッドに編みこまれた髪が一瞬で解かれ、乱雑に結い上げられた髷になる。着
ている服も、嘗て彼が愛用していた着物に変わっていた。ヘメラの力によって引き出された、彼に最も似合いの衣装。
―――魔を祓う剣として生を受け、ヒトと交わって生きる事を覚えた一振りの刀。
その斬撃は先刻と比べ物にならないほどの速さで、紅い剣と打ち合わされ――――
カシィン!!
思ったよりも軽い音を立てて、その刀身を砕き斬った。
一瞬、驚愕したように死体が目を見開き―――すぐに光が無くなる。当然だ、彼女はもう一週間も前に死んでいたのだから。剣
の魔力が途切れ、あっという間に腐り落ち―――やはり、溝泥の中に沈みこんだ。
飛び散った紅いカケラが一つ、天裂の手の中に残っていた。躊躇い無く彼はそれを、ひょいと舌の上に放り込んで飲み込む。
「―――不味。腹の足しにもなんねぇな」
「剣って食べると美味しいのかい?」
心底不味そうに顔を顰めた天裂に、水面を歩いて近づいてきたミラージュが首を傾げる。
「ああ、ヘメラとお前とかはな?」
「そうなのかい? でもボクとヘメラは、キミに食べられたことはないよ?」
「食ってんじゃねぇか、いっつも」
「???」
自己意識を持ってまだ一年にも満たないミラージュには、にやりと笑って告げられた天裂の言葉の真意が掴めない。くりくり首
を捻って考え込んでいる姿に、てっきり真っ赤になったヘメラが止めに入るかと思ったのだが、それがない。
天裂が不審に思って振り向くと、剣の持ち主にされていた女が沈んでいった場所をじっと見ている。涙を零してはいないようだ
が、背中が僅かに震えていた。
変に犠牲者に同情してしまったのだろう。元々人間であったにも関わらず、鍛冶師によって炉に放り込まれ剣となり、その恐怖
と嫌悪によって腐食する体を持っている身のヘメラとしては人事とは思えなかったようだ。
呆れたように天裂は息を吐くと、ヘメラに大股で歩み寄り、俯いた銀糸の頭をがしがしがしっ、と乱暴に撫でた。
「ふゃっ!? あ、アマサキ?」
「何1人で凹んでんだ。言っただろうがよ、不味かったって」
「うん…え?」
頷いてから意味が解らずにヘメラが首を傾げると、後味の悪さに耐え切れないように天裂は舌を出してから―――にやりと笑っ
た。
「まだ残ってやがる。すぐに消えちまうだろうけどな。月並みだ、ゴメンナサイとアリガトウだとさ」
飲み込んだ剣の魂の中の残滓。もう既に消えかかっていたけれど、それごと自分の中に飲み込んだ天裂には気づくことが出来た。
ヘメラの涙を本物だと認識した心は間違いなく彼女のものだった。ヒトを獲物としか見ない狂った魔剣では、とても考え付かな
いことだろう。
何度かぱちぱちと瞬きをして、ヘメラの顔がぱぁっと嬉しそうに輝く。既に出口を目指して歩き出している天裂に駆け寄り、定
位置である腕にするんとしがみ付いた。
「えへへ。アマサキだーい好き!」
「へぇへぇ」
うざったそうに首を振りながらも、腕は振り解かない。それが嬉しくて、ヘメラはますます強くその腕にしがみ付いた。自分が
悲しい時、辛い時、魔剣らしくない言動や行動を繰り返しても、それを呆れつつも認めてくれる彼が本当に好きだった。そんな
思いを込めて、彼女は何度もその言葉を告げるのだ。
「ボークもっ♪ そうだ、ねぇねぇヘメラ? ヘメラはアマサキに食べられたことがあるのかい?」
「え? ふぇえっ!!?」
と、追いついてきたミラージュがやはりにこにこ笑いながら天裂の腕にしがみ付きながら、幸せそうなヘメラに思い切り爆弾を
落とした。慌てて天裂の方を見上げるが、にやにやと面白そうに笑いながらも口を開くつもりはないらしい。この知りたがりの
青年のお守りを、彼女1人に押し付ける気満々だ。
「え、えと、あるというか、ないというか、あの、」
「そうなのかい? 食べられたんなら、なんでどこも欠けてないんだい? ボクも食べられてるってアマサキは言ってたけど、
ボクの本体もプログラムも欠損してないよ?」
「あー、うー、あ、アマサキ助けて〜!!」
顔を真っ赤にしたまま、矢継ぎ早に聞かれてヘメラはすぐにギブアップ宣言をする。しがみ付いた腕を揺すって懇願するが、勿
論その望みが叶うことは無い。
「俺よりヘメラの説明の方が解り易いだろ? ちゃんと聞いとけ」
「うん、そうだね。教えてよ、ヘメラ!」
「うわぁあああぁん、アマサキのバカぁー!」
確信犯な主と真剣且つ無邪気な後輩に挟まれ、ヘメラの泣き声が下水管の中に響いた。
ムダにサスペンスチックにしたらまた長くなりすぎたんだぜ(汗)
共闘というには戦闘シーンが短すぎたやも。おうううすみませぬ。
でもこの三人(三本)書けて楽しかったです。ありがとう!